はじめに 企業法務の体験から
私は、5業種6社で通算20年にわたり企業法務の仕事に携わりました。そのうち11年余りは部門長・組織長として責任のある立場を経験しました。常に緊張感をもって業務に取り組んできました。
20年にわたる経験の中から、企業法務に携わる方のご参考になりそうなことを『企業法務―体験からのメッセージ』というタイトルで発信しています。
裁判管轄
契約書の条文には、「一般条項」と呼ばれる条文(群)があります。これは多くの契約に規定される標準的な条項のことです。今回はその「一般条項」の代表的な条文の一つとなる「裁判管轄」について簡単に触れたいと思います。
「一般条項」、「裁判管轄」は契約書の作成、審査においては頻出のポイントなので、ベテランの法務担当者であれば説明を要しないことでしょう。
そこで今回は、新任の法務担当者、そしてユーザー部門の方々向けにコメントさせていただきます。
裁判管轄とは
まず、よくある裁判管轄についての条文例を見てみましょう。
『第○条 管轄裁判所
甲及び乙は、本契約に関して紛争が生じた場合には、東京地方裁判所を第一審の専属的合意管轄裁判所とすることに合意する。』
少しでも契約書を読んだことがある人であれば、「ははあ、条文の終わりあたりでよく見かけるね」という印象かと思います。
一方で、不慣れな方であれば「裁判とは物々しい。こんな大袈裟なことを書かねばならないのか」という感想を抱くかもしれません。
よくある条文とはいえ、見る立場によって印象は様々になろうかと思います。
契約書で「裁判管轄」を合意する意味
この点をあえて簡単に(乱暴に?)述べれば、次の2点に集約されるかと思います。
①[建前]訴訟のときにどこの裁判所で裁判が行われるかをあらかじめ明確にしておく。
②[本音]自社にとって身近な裁判所以外で裁判が行われることを防ぐ。
裁判管轄条項は契約書に必要なのか
この点については、2つの要素を検討しましょう(以下、舞台を日本国内に限定します)。
まず、仮に裁判管轄条項が契約書に記載されていなければ、裁判を起こすことができないのでしょうか。
実は、民事訴訟法という法律があって、裁判を起こすときにどの地区の裁判所とすべきかはキチンと決められています。
原則として、被告(裁判を起こされた側)の住所地を管轄する裁判所となります。
例外としては、不法行為を起こされた土地を管轄する裁判所(不法行為に基づく損害賠償請求の場合)、対象の不動産の所在地を管轄する裁判所(不動産に関する裁判の場合)などが挙げられます。
したがって、仮に裁判管轄条項が契約書になかったとしても、裁判を起こすことはできます。
次に、裁判管轄条項がないと契約書として成立しないのか、という点です。
契約書にどのような要素が必要かという設問であれば、それは多岐にわたって検討が必要ですが、裁判管轄条項について言えば、その条項がないからといって契約書として成立しないということはありません。
このように考えると、「裁判なんて大袈裟だし、あえて裁判管轄条項などを盛り込まなくてもよいのではないか」とか、「裁判などめったにあることではない。そのために交渉を荒立てたくないから、裁判管轄条項については先方の提示案のままでよかろう」というようなお考えも浮かぶかもしれません。
「裁判管轄」を設けることの本音を再検討
ここまでの説明をお読みになれば、「裁判管轄条項はなくてもよいかも」という感想を抱く方もおられることでしょう。そのようなお気持ちになるのももっともですが、別の角度からも分析してみるべきだと思います。
ここで、前述の「契約書で「裁判管轄」を合意する意味」の[本音]を振り返ってみます。
【再掲】 ②[本音]自社にとって身近な裁判所以外で裁判が行われることを防ぐ。
これが裁判管轄条項の本音ベースの存在意義であるとすれば、自社と契約の相手方の本社所在地の関係を確認する必要があります。
なぜなら、仮に両者ともに東京を本社とする会社であれば、[建前(前述)]はもちろんのこと、[本音]であっても、裁判管轄条項があることによって、どちらかが有利または不利ということは生じにくいでしょう。
さらに突っ込んで言えば、仮に裁判管轄条項がなく、それゆえに民事訴訟法の規定に従うことになったとしても、ほぼ同様になることが予想できそうです(例外的な事象を除きます)。
裁判管轄条項について注意すべき環境
それでは、どのような場合には注意を要するのでしょうか。その答えはすでに出ています。
「契約の相手方の本社所在地が、自社と異なる場合には用心すべき」ということです。
契約の条項の交渉は、「良し悪し」「こうすべき」で決まるのではなく、当事者間の力のバランスとか、その契約についての立場によって決まることが多く、それを覆すのはなかなか難しいことだとは承知しています。
しかし、そうは言っても、裁判のコストについては予め具体的に認識しておいた方がよいと思います。滅多にないことだからと想定を怠るべきではありません。
大阪の裁判所に通うことで生じたコスト
ご参考までに、自分が担当した裁判の例をご紹介します(20年近く前のことです)。
おおまかに言えば、相手方が「お金を払え」と主張し、こちらが「身に覚えがない」と反発した案件でした。
当初はそれほど難しい案件のようには感じられませんでしたが、なにせ両者の主張が食い違っていたので、解決までに2年半あまりを要しました。
ポイントは、相手方が大阪の裁判所に訴訟を提起したことです。
移送の申立(訴訟が提起された裁判所が管轄をもっていない場合に管轄のある別の裁判所に移す(移送する)ように主張すること)も虚しく、そのまま大阪地裁で裁判が進みました。
本件は契約書の条文を根拠とする事案ではありませんが、自社の本社から遠い地の裁判所で訴訟があった場合にどうなるのかという例としてご参照ください。
裁判の行方は、収まるべきところに収まったと言えますが、驚いたのはそのコストです。
東京地裁であれば生じなかったであろう費用、例えば、旅費、宿泊費、弁護士の日当、その他のコストの合計額は200万円前後だったと記憶しています。
本社のある東京だけでなく大阪にも法務部があるような超大手の企業であれば発生しなかった要素も含まれていますが、現実にはそのような企業ばかりではありません。
仮に規模の小さな会社であれば、この負担は決して軽くはないと思います。
どこで裁判をするかということは、一面ではこのようにコストにダイレクトに反映することも頭の片隅においていただけると幸いです。
まとめと次回予告
今回は、裁判管轄についての考え方に絞って私見を申し上げました。
それゆえ、裁判管轄条項には「専属的」という文言を記載すべきか、とか、知的財産高等裁判所を意識した第一審の合意管轄はどうすべきかというようなテクニカルな話題は割愛しました。
また、2024年3月から民事訴訟の当事者は裁判所に出頭しなくともウェブ会議によって参加することが認められるなど、時代が様変わりした面もあります。このような変化に伴って、かつては有効であった「被告地主義に変更しませんか」という提案もあまり意味のないものになりました。
あまり目立たない条文ともいえる「裁判管轄条項」についても色々と考慮すべき点があることがおわかりいただけたかと思います。
この点について疑問があれば、ぜひ所属する会社の法務部門にご相談することをお奨めします。現役の法務のご担当者は、日々これらの論点について研鑚を積んでおられますから、頼りがいのあるアドバイザーになると思います。
また、何か疑問なことがあれば、当事務所にもお気軽にお問合せください。
次回は、準拠法についてコメントする予定です。この条項は国際的な取引の契約書の一般条項によく登場するものです。
先に少し触れた、裁判管轄の被告地主義と混同する方もおられるので、その点も含めて説明しようと考えています。
引き続きお楽しみいただけますと幸いです。
※前回までの投稿は、以下をご参照ください。
企業法務―体験からのメッセージ①【期待】
企業法務―体験からのメッセージ②【人】
企業法務―体験からのメッセージ③【採用】
企業法務―体験からのメッセージ④【転属】
企業法務―体験からのメッセージ⑤【コンプライアンス組織】
企業法務―体験からのメッセージ⑥【社内規程その1】
企業法務―体験からのメッセージ⑦【社内規程その2】
企業法務―体験からのメッセージ⑧【契約書その1】
企業法務―体験からのメッセージ⑨【契約書その2】
企業法務―体験からのメッセージ⑩【契約書その3】
企業法務―体験からのメッセージ⑪【契約書その4】
企業法務―体験からのメッセージ⑫【契約書その5】
企業法務―体験からのメッセージ⑬【契約書その6】
(代表 長谷川真哉)
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