企業法務―体験からのメッセージ⑨【契約書 その2】

企業法務―体験からのメッセージ

はじめに 企業法務の体験から

私は、5業種6社で通算20年にわたり企業法務の仕事に携わりました。そのうち11年余りは部門長・組織長として責任のある立場で緊張感をもって業務に取り組んできました。

20年にわたる経験の中から、企業法務に携わる方のご参考になりそうなことを『企業法務―体験からのメッセージ』というタイトルで発信しています。

今回は前回に引き続き、「契約書」について述べたいと思います。

前回は、契約書にまつわる業務について、行政書士ができることとできないことを、最近のAIによる契約書の審査等のサービスについて法務省が公表した見解を参考に略述しました。

結論としては、事件性がない限り、行政書士も業務として契約書の作成のみならず審査にも携わることが可能ということでした。

そのような前提で、視点を当事務所のサポート対象である顧客企業様に移してみます。
一例として、取引に必要な契約書を相手方から提示されたとします。
その契約書(ここでは、「契約文案」といいます)を目の前にして、法務担当者は何を考えるべきでしょうか。

そのような場合の対処の例についてお話ししたいと思います。

「契約文案」が手元に届いたとき

「契約文案」が法務担当者の手元に届くには、その会社によって様々なルートがあろうかと思います。よくあるのが、メールに契約文案“が添付され、審査を依頼される方法です。会社によっては、法務への依頼にあたって所定のフォームに必要事項を入力することが必要な場合もあるでしょう。そのほかに、担当者(依頼者)が直接法務部に「契約文案」を持参することもあると思います。

企業法務に携わったばかりのころ、私は、依頼者のコメントを聞いて、すぐに「契約文案」に目を通して記載された事項、特に「条文」を中心に検討を始めました。

しばらく経験を重ねた後、「大事なのは、そこじゃない」と気づきました。

次項に、契約書を作成したり、提示された「契約文案」を修正したりして、契約書をまとめ上げるために、重要と考えること(私見)を列挙します。

契約業務 重要なこと

(1) 取引相手は信用できるか

(2) 取引相手との関係

(3) 実現しようとしていること、起きてほしくないことは何か

(4) 約束できること、約束できないことは何か

(5) 「こちらに有利な内容」は正しいのか

これらの点が判明または理解できてこそ、その契約の適否、さらには契約文案の適否が判断できるのだと思います。以下、少し補足します。

(1) 取引相手は信用できるか

この場合の信用とは、与信上の判断はもちろんのこと、反社会的勢力ではないか、その他のコンプライアンス上のリスクが見当たらないかということも含みます。それらがクリアな前提で、品質管理、許認可上の要件も備え、取引の目的を果たすことができるか否かを総合的に判断する必要があります。

継続的な物品やサービスの提供を求めたいにもかかわらず、途中で経営破綻したことで供給が途絶えたり、上述のポイントについて不適合になったりすれば、契約の目的が達成できません。
こちらが売り手であれば、代金が回収できることが何よりも大切ですから、「倒産しました!」では話になりません。

このように、取引にあたっては、相互に相手を信用できることが何よりも大切です。その点、それまで継続的に重要な取引を重ねてきた実績のある取引先は、新規の取引先に比べれば、どうしても信用度は上がるということになるでしょう。

私の経験では、外国企業とのある技術支援契約で、数か月にわたって英文契約の「契約文案」の交渉を繰り返し、ほぼ妥結しそうになったものの、別の条件が折り合わず契約締結に至らなかった事例がありました。
その相手企業は、なんとその翌週に経営破綻してしまったのです。
仮に契約したとしたら、最悪の場合、前払い金を払った直後に何もサービスを受けられないまま倒産したかもしれないと考えると、ぞっとしました。

(2) 取引相手との関係

端的に言えば、どちらがバーゲニングパワーを握っているかということが重要です。この場合、力関係だけでなく、その相手以外から同じようなものを入手することができないような場合も含まれます。
この点については、法務部門よりは、その案件の担当者(依頼者)の方がずっと敏感ですから、早い段階で率直に確認すべきです。

仮に、社内のルールで契約書はすべて法務の確認をとる、とされていたとしても、例えばMicrosoft Officeの使用許諾契約を熟読して、この条文はこのように修正すべき、と主張しても、実質的には意味がありませんよね。

彼我の立場と状況(修正交渉の可否等)を意識したうえで、仮にこちらが弱くても、せめてこの点だけは修正に応じてもらおうというような交渉こそが重要となります。
そのような場合、全体的に自社の希望に沿うように細かく修正交渉したとしても、実を結ばないことが多く、関わった当事者達が疲弊しただけということになりかねませんが、それはあまり意味がないと思います。

それとは逆に、こちらの立場が強いときも、いえ、そのようなときこそ慎重な対応が必要です。誰もが知る大企業による下請法違反の報道など、決して珍しくありません。
それは、自社のレピュテーションリスクを著しく増大させることになってしまいます。

(3) 実現しようとしていること、起きてほしくないことは何か

どのような品質の材料をいつまでに、いくらで入手する。または、この製品をこのような条件(納期、金額、保証期間等)で販売し、いつまでに代金を回収する。このように、どんな取引でも、それを通して実現したいことがあります。
一方、起きてほしくないこともあるはずです。例えば、材料の納期が遅延する、とか品質が低下して不良率が上がる。立場が変われば、販売代金が支払われない。前払金の支払いはあったが納品後に連絡がつかなくなり残金の回収が困難になった、というような例もあり得ます。

このような重要な要素はきちんと契約書に記載されていますか。そして、その確認のためにも、法務担当者は、それらの情報を具体的に知っていますか。

私は駆け出しのころ、一生懸命に条文を検討して双方が折り合える「契約文案」をまとめたものの、経理部門から突き返されたことがありました。条文には特におかしな要素はないはずです。
そのときに経理の担当者から指摘されたのは、納品日と支払日の前後関係でした。
契約書の要目表に記載された日付によれば、品物が納品される日よりも代金の一括支払い日が「前」だったのです。

その取引先とは、事実上初めての契約ですから、まだ信用できるような実績はない。それにも関わらず、かなり高額の購入代金を品物が届く前に払うのですか。本当に大丈夫なのですか、と。
私もその日付には目を通していたはずです。でも十分な注意を払っていなかった。基本こそ大事ですね。大きな学びとなりました。

(4) 約束できること、約束できないことは何か

一例ですが、自社が製造業の場合、それぞれの製品の保証期間と条件を把握していますか。
保証の約束は、その範囲まで。それを超える場合は、実際に手当できるかを、営業部門と製造部門との間でしっかりと合意しておかなければなりません。

「大口の取引ができそうだ。我が社自慢の新製品を納入することになる。先方から「契約文案」を提示されたので、チェックしてほしい」。

取引に関する情報と、営業部門の希望する条件などを確認して、早速「契約文案」の審査に入りました。

相手方が要求する製品保証期間は10年。一方で、当社の標準的な保証期間は1年で、その後は継続的なサポート契約を別途締結していただくこととしていました。ただ、それにも限界があり、仕入れている個別の部品によっては、「納入を約束できるのは7年が限度」というものもありました。

そうであれば、相手方の要求する保証期間は約束できず、実態に合うように粘り強く交渉するほかありません。

「大口だから」「どうしても獲得したい契約だから」「相手は大手で、条件は動かせないから」など、様々なご意見が出ることがあります。しかし、約束できないことを「大丈夫」と言う訳にはいきません。

ちなみに本件であれば、自社の契約ひな形を受け取っていただく交渉が第一歩と考えます。

(5) 「こちらに有利な内容」は正しいのか

企業法務で契約書の作成・審査に携わっている人にお話しを聞くと、しばしば「自社に有利になるような条文にします」というコメントを耳にします。

まあ、お気持ちはわかります。

しかし、それが本当に得策なのでしょうか。

「自社に有利」と一口に言っても様々なケースがあろうとは思いますが、本来、「契約文案」の内容はその取引の条件であるという側面を軽視しない方がよいと思います。

現実には、「契約文案」をどちらが提示するにしろ、必ずしもその取引にぴったりと合致するフォームであるとは限らない場合があるのも事実です。大量生産品を購入するために「契約文案」を取り寄せたら、製造請負契約のフォームだったことも一度や二度ではありません。

そのような例外もあるとはいえ、本来は、そのサービスや製品を提供するための条件を盛り込んだものが、供給側が用意する「契約文案」です。それを、自社のひながたと同じ水準になるように、極端な場合は言葉遣いまで同一になるように修正するのは、意味がある行為には思えません。むしろ、「契約文案」の修正交渉を徒に長引かせる悪手だと思います。

まとめと次回予告

ここまで、私が重要と考える、契約業務の5つのポイント(私見)を簡潔にご紹介いたしました。

ここまでお読みいただけるとわかると思いますが、(5)を除けば、契約書の「条文」に踏み込む「前段階」の事柄と言えます。
(3)、(4)についても、契約書のスタイルによっては、条文ではなく「要目表」に記載されていることもあります。

法務の担当者として「契約文案」をチェックしようとすると、特に、毎日繰り返し多数の「契約文案」を受け付けていると、どうしても「条文」に目がいってしまいますが、それ以前に重要なポイントがいくつもあります。
それを見逃さないためには、全体像の理解が重要です。
今日の記事で取り上げたような重要な点を意識して、契約書の条文以外の要素も注意深く検証すると同時に、担当部門を含む社内各部門との綿密な情報共有こそが大切であることがわかると思います。

次回は、契約書審査について、第一のハードルである本日の論点を越えた、その先の話について述べたいと考えています。

引き続きお楽しみいただけますと幸いです。

※前回までの投稿は、以下をご参照ください。

企業法務―体験からのメッセージ①【期待】
企業法務―体験からのメッセージ②【人】
企業法務―体験からのメッセージ③【採用】
企業法務―体験からのメッセージ④【転属】
企業法務―体験からのメッセージ⑤【コンプライアンス組織】
企業法務―体験からのメッセージ⑥【社内規程その1】
企業法務―体験からのメッセージ⑦【社内規程その2】
企業法務―体験からのメッセージ⑧【契約書その1】

(代表 長谷川真哉)

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