はじめに 企業法務の体験から
私は、5業種6社で通算20年にわたり企業法務の仕事に携わりました。そのうち11年余りは部門長・組織長として責任のある立場を経験しました。常に緊張感をもって業務に取り組んできました。
20年にわたる経験の中から、企業法務に携わる方のご参考になりそうなことを『企業法務―体験からのメッセージ』というタイトルで発信しています。
契約において、最も重要なことの一つ 「人」
前回から「契約書」にかかわる具体的なテーマを取り上げています。
今回は、契約書実務において最も重要な要素の一つである、「契約の当事者」と「調印者(サイナー)」について述べたいと思います。
契約の当事者とは
契約の当事者とは、その契約によって権利を得、義務を負う法的な主体のことです。
「権利を得、義務を負う」とは、例えば、売買取引の買主であれば、売買の対象物の所有権を得ることができ、売買代金を売主に支払う義務を負うことがそれにあたります。
また、「法的な主体」とは、人のことです。人には個人(自然人)と法人(会社、社団法人、財団法人等)があります(法律のテキストでは「個人」とはあまり表現しませんが、わかりやすいようにあえて「個人」と表示しました)。
契約書面上においては、通常、前文の冒頭にその契約の当事者(売買契約なら、売主と買主)が表示されます。
一例として、次のような表現をよく見かけます。
「○○株式会社(以下、甲という)と▲▲株式会社(以下、乙という)は、××の売買についてここに売買契約を締結する。(以下、省略)」
上記における「○○株式会社」と「▲▲株式会社」が、この契約の当事者です。
一度でも契約書を読んだことがある方であれば、よくある表示だと思うことでしょう。
契約の当事者を見極められますか
契約の当事者をきちんと見極めることは、その契約にとって最重要事項の一つです。
それでは、ここでクイズを出しますので、よろしければ挑戦してください。
<クイズ 契約の当事者は誰か!?>
それぞれの契約書の前文に次のように表示されています。各Qの契約の当事者は誰でしょうか。
Q1 AA株式会社BB開発センター(以下、甲)
Q2 CC県知事DD明雄 (同上)
Q3 国立大学法人EE大学FF研究室教授GG明子(同上)
Q4 いきいき健康協会(同上)
<答え合わせ>
各Qの正解、つまり「契約の当事者」は次のように判断するのが一般的でしょう。
Q1 AA株式会社
Q2 CC県
Q3 国立大学法人EE大学の教授であるGG明子(個人)
Q4 いきいき健康協会に法人格がない限り、その代表者である人物
(この例では前文に記載されていない)
いかがでしたか?
ご納得いただけましたか?違和感はありませんか?
大切なことは、契約の主体となるのは、前述したように人(自然人または法人)であること、そして、契約の当事者を表示するにあたっては、複数の人を並べて記載しないこと(法人名と個人名、等)の二つです。
<修正案>
契約書に設問のように表示されていたら、私であれば、誤解が生じないように次のような表現にすべく修正を申し入れます。
そもそも、見極めなければならないような複雑・あいまいな表現は避けるべきなのです。
Q1 AA株式会社
Q2 CC県
Q3 国立大学法人EE大学(法人)、またはGG明子(個人) *状況によります(後述)
Q4 いきいき健康協会 理事長HH太郎
それでは、正解の根拠を意識して、もう一度クイズを振り返ってみましょう。
<ふりかえり(解説)>
Q1 AA株式会社BB開発センター
AA株式会社は株式会社として法人格を有しています。
その一方、BB開発センターはたとえどれほど重要な機能を備え多数の職員が働いていようとも、AA株式会社(法人)の一部局に過ぎず法人そのものではないので、契約の当事者とはなり得ません。
Q2 CC県知事DD明雄
「県が人とはどういうことか」と疑問に感じた方もいるかもしれません。
実は、地方公共団体(都道府県、市町村等)は法人(公法人)なのです。法人も法律上の「人」であることは前述しました。
よって、独立した人格を有し、契約の当事者になることができます。
また、県知事はその県(公法人)の代表者ですから、法人の代表者を併記したと解することができます。
したがって、法人であるCC県が当事者であると認識できます。
さて、契約の主体を検討する場合、Q2についてはDD明雄氏が個人(自然人)として締結するものの、その肩書を表示したいがために設問のような表記とすることもないとは言い切れません。
しかし、そのような事情があるとしても、個人として契約するのであれば、契約の当事者として「CC県知事」と表示することは適切ではないので、記載の修正を求めるべきです。
Q3 国立大学法人EE大学FF研究室教授GG明子
国立大学法人は、地方公共団体、独立行政法人とともに代表的な公法人の一つです。したがって、国立大学法人EE大学は独立した権利義務の主体であり、契約の当事者となり得ます。
それに対して、FF研究室は法人ではないのでQ1と同様に、契約の当事者とはなりません。
問題となるのは「教授GG明子」の表記です。
GG明子氏は個人(自然人)ですから、契約の主体になり得ます。
それでは、国立大学法人EE大学を代表する立場であるかと言えば、一教授にすぎず、代表者とは認識できません。
このようなことを総合的に考慮すると、この契約は大学教授という肩書をもつGG明子氏が個人(自然人)として締結した契約、つまり契約の当事者はGG明子氏だと考えられます。
Q4 いきいき健康協会
この表示だけでは法人であるとは判断できません(ただし、法人である旨の記載がもれただけという可能性も皆無ではないので、確認が必要です)。
サークル、同窓会、町内会などの任意団体は、権利能力なき社団、法人格なき団体などと言われます。所定の手続きによって一般社団法人になることができる場合がありますが、そのような手続きを経ていなければ「法人」、つまり人ではありません。
人ではないので、独立した権利義務の主体とはならず、よって、契約の当事者になることもできません。
このように任意団体が契約を締結する場合には、団体としてではなく、その代表者である個人を契約の当事者とするのが一般的です。
したがって、Q4の場合、契約書前文の当事者の表示の箇所には「いきいき健康協会 理事長HH太郎」のように団体名だけでなく、代表者の役職と氏名を併記するのが一般的です。
個人との契約と法人との契約の違い
この点については、締結した契約によるビジネス等が順調であればどちらであっても特に大きな問題はないかもしれません。
しかし、ひとたびトラブルが生じれば、その違いは非常に大きいので注意が必要です。
責任を追及できるのは、契約の当事者に対してです。契約の当事者が個人であれば、その個人ができること、その個人が支払える範囲の賠償が限度となります。どれほど大きな組織に属していようが、その組織に対して責任を追及できないのが原則です。
Q4においては、人ではない任意団体に責任を追及しても効果はないので、前述のように個人を当事者とするほかありません。その分、トラブル時のリスクは大きくなるおそれがありますが、契約を締結する以上はその点を了解するほかありません。
一方、Q3については、契約の当事者を「国立大学法人EE大学」(法人)とすれば、その教授であるGG明子氏と比べてより大きな支払い能力が期待できます。それだけではなく、GG明子氏が何等かの都合で契約の履行を続けられない場合の代替措置を要求することができる可能性もあるなど、トラブル時のリスクを軽減することが期待できます。
したがって、選択(修正)の余地があるのならば、契約の当事者を設問のままとせず、「国立大学法人EE大学」と法人に変更するのが望ましいです。その場合の「教授GG明子氏」の位置付けは、契約書本文中で明らかにすることができます(この点の対処については、個別にご相談ください)。
調印者(サイナー)
調印者(サイナー)とは、通常、契約書の末尾箇所に、住所・名称が表記され、署名または押印を伴うものを指します。
署名または押印以外は、予め印字される場合もあれば、ゴム印、手書きなど様々な記入方法があります。
私文書に署名(本人の手書き)または押印があることによって、その文書は本人の意思によって作成したものと推定されます(民事訴訟法第228条第4項。なお、契約書も私文書の一つです)。
いわゆる、「サインする」とか「判を押す」という言葉でイメージされるように、単なるメモから法律的に意味のある重要な文書にランクアップすることを意味します。
通常、この調印者(サイナー)は、契約書前文の契約当事者の表記とリンクしています。
個人(自然人)の場合には、調印者は契約当事者と同じであるのが原則です(そのほか、弁護士等の代理人が調印者となる場合があります)。
それに対して法人の場合には、少し注意が必要です。
例えば会社であれば、代表取締役またはその契約についての業務を担当する役職者(一般的には部長以上)の名前を表示し、その人物の意思であることを表す印章(代表取締役印、購買担当取締役印、総務部長印など。印章とはハンコのこと)を押捺します。
どちらの場合も、法律的な効果は同じです(契約の効力に違いなし)。
ポイントは、権限のある役職についている人物の「役職名+氏名+役職印」が揃っているということです。
ここでご注意いただきたいことが二つあります。
法人の場合 – 権限のある役職者
一つは、権限のある役職者であることです。
代表取締役であれば、どの業務であっても問題はありません。また、営業部長が自社製品の販売契約を締結することも同様です。
一方、営業部長が技術提携契約を、購買部長が営業のための販売契約を締結するのは、権限がないとみなされるおそれがあります。そうなると契約の効力自体が認められない可能性がありますから、十分注意してください。
法人の場合 – 印章の種類
もう一つは、「○○株式会社之印」など、役職者に結びつかない印章を用いない、ということです(ちなみに、このような印章は角印であることが多い傾向があります)。
法人の住所と名称だけを記載し、上のような印章が押された契約書を何度か見たことがありますが、このように調印者(サイナー)の記名押印がない契約書は、法律的には効果がありません。
なかには、社長などの代表者名を記載しておきながら、上のような法人名の印だけを押してある場合があります。これも効果としては同様です(例外となる考え方もありますが、煩雑になるのでここでは触れません。まずは基本的な考え方をご理解いただきたいという趣旨です)。
これらのように、法人名だけの印では必要な押印がなされていないと主張される可能性があるので、前述したように調印者である「人」の役職名・氏名をきちんと明記し、その役職印(代表取締役印、購買担当取締役印、総務部長印など)を押す。
相手方の調印欄もその視点で確認する。
これらは契約書の締結実務上、必須のチェック項目です。
まとめと次回予告
今回は契約の当事者と調印者(サイナー)という、重要な要素について簡単に解説しました。
この記事では省略しましたが、21世紀を迎えて電子署名法(2001年4月1日施行)により、契約の調印にあたってのデジタル化の法的基盤は整備されており、活用される場面も益々増えています。
ここでは、本来の法的な位置付けと紙面版の契約書についての基本的な事柄の確認にとどめ、デジタル化についての言及はいたしません。
もし、何か疑問等があれば、お気軽にお問合せください。
次回は、基本契約と個別契約(注文書、請書)の関係についてご案内する予定です。基本的なポイントの理解が重要なのですが、前例を踏襲しているうちにその点がおざなりになり、その結果様々なリスクが生じていることに気づいていないという場面をよく見てきました。
引き続きお楽しみいただけますと幸いです。
※前回までの投稿は、以下をご参照ください。
企業法務―体験からのメッセージ①【期待】
企業法務―体験からのメッセージ②【人】
企業法務―体験からのメッセージ③【採用】
企業法務―体験からのメッセージ④【転属】
企業法務―体験からのメッセージ⑤【コンプライアンス組織】
企業法務―体験からのメッセージ⑥【社内規程その1】
企業法務―体験からのメッセージ⑦【社内規程その2】
企業法務―体験からのメッセージ⑧【契約書その1】
企業法務―体験からのメッセージ⑨【契約書その2】
企業法務―体験からのメッセージ⑩【契約書その3】
企業法務―体験からのメッセージ⑪【契約書その4】
(代表 長谷川真哉)
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